「自分から救われたい」なんて言っても

 

自分から救われたい。

「“自分”というものから、いっそ逃げ出してしまいたい」そう思ったのは一度や二度じゃない。何度も何度も数え切れないほど、その考えは私の頭の中に浮かんでくるんだ。

だけどそれは、私が自分のことを嫌いだからってわけじゃない。

むしろ私は私のことが好き。考えすぎる(考えずにいられない)性格も、繊細すぎたりみんなと違う変な感性も、社会不適合者なとこも、なんやかんやぜんぶ気に入っていて、面白いヤツだなと我ながら思ったりしてる。

だけど、だけどさ、たまに、どうしようもなく、それら全てが嫌になってしまう瞬間があるんだよ。

 

これは小さい我が子をワンオペで育ててるお母さんとかの心境に似ている。我が子が可愛くて愛しくて仕方ないのにストレス過多とかで余裕が一切なくなる状態に達したときに殺したくなる、みたいなあれと一緒だと思う。

可愛さ余って憎さ百倍じゃないけど、どんなに好きでも無理になる瞬間ってやっぱり少なからずあるんだよな。

 

そういう状態のときって、まじでどうしようもなくて、ほんとしんどくて、死にて〜〜〜 ってなるのよ、「じぶんうざいな?めんどくさいの極みじゃん、まじで無理…だっる」てなって発狂しそうになる、そういうときってだいたい思考促迫がヤバくなってて頭の中グッチャ〜うるせ〜〜って感じなので、やばい。

 

しばらく時間が経ったら、元の自分かわいい期に戻るから、ひたすら耐える。

ちな乗り切るための策としてオススメなのは『歌うこと』。

私の場合はApple Musicで好きな曲かけて歌詞見ながらひたすら歌いまくる。熱唱。楽しいしカラオケの練習にもなっていいよ。疲れ切るまで歌って寝ちゃお。あと誰かと電話したり会ったりして『話す』っていうのもおすすめ。

こういうときに一人で考え込むのは底なしの沼にはまっていくようなもんだから、とにかく気を散らすことに徹したほうがいい。

ちょっと落ち着いてきたら瞑想とかして内観するのも大事だけど、ピークの時はまじでそんな余裕ないから、考えないことのほうが大事だと思う。

 

まあこんな風にして私は、めんどくさくも愛おしい自分と日々付き合ってるわけだけど、こんな話をしてると思い浮かぶ言葉がある。

別の人間になることだけは絶対に嫌だった。他の人間になった自分をどうやって憎めばいいというのだろうか。

『唄うクジラ』村上龍

 

 時には、自分から逃げたい救われたいと泣き言を言っているけど、じゃあ他の人になれますよ。と言われても私はそれを拒否するだろう。私はやっぱり私でないと意味がないのだ。誰にもなりたくない、誰でもない『私』でありたいのです。

 

たまには喧嘩しながらも、これからも仲良くやっていこうね。