目を見たらだいたいのことは分かる

 

 

人のことを好きだ、と感じる要因というのは人によって様々だと思うけど、私の場合いちばん最初に見るのは目。

目っていうのは本当にその人の情報が詰まっているなあと思っていて、目をみると自分が好きなタイプの人間がどうかが分かる。

体感としてはめちゃめちゃ好き!ってなる目をしてる人は15%くらい(もっと少ないかも)で、可もなく不可もなく普通ってのが65%、あっ…無理だこわいこわいってなる人が20%いる。

 

めちゃ好きな目をしてる人は少ないので貴重。積極的に仲良くしていく。普通の人たちは状況に応じて臨機応変に対応。無理な目をしてる人はマジで無理なので(できるだけ目も合わせたくないしキョドッちゃう)できるだけ避ける。ことにしている。

いかつい格好しててもめちゃ好きな目をしてる人もいるし、優しそうなのに無理な目をしてる人もいる、ので特に特徴とかはなくてシンプルに自分の感覚だけで判断してる。

その人の持ってるエネルギーの感触みたいなものを目から感じてるんじゃないかなって思ってる。

 

何をするかとか何を言うかとかじゃなくて、いちばん大切なのはどういうエネルギーでそれをするかってことだからね。

同じこと言っててもエネルギーが違うと受け取り手の印象はぜんぜん違う。

 

もっと温人と仲良くなっていきたいんだよな〜〜(私はめちゃ好きな目をしてる人間のことを温人[ぬくじん]とよんでいる。彼らをみるとなんだあったかい感覚がするので]

自分の変化に頭が追いつかない時ってあるよね、自分のことなのに

 

ここ最近、自分の進化、変化?が著しい。

たまーになるんだけど、なんか中身がグルンと変わっちゃうんだよな。スピリット?感覚?というか、今までの価値観とか考え方とかが強制的にできなくなる。

「え、そんなふうに考えるんだ自分?」みたいに、自分で自分に驚いちゃう、ってことがこの時期にはよく起こる。心の変化に頭が追いつかない、状態というか、そんなふうだからなんかずっと混乱してて自分の中がゴチャゴチャしてちょっと気持ち悪い。自分で自分が掴めなくて、自分のことが分からなくなって、少し不安になる。

ちょっとずつ頭が追いついていって、最終的にはいい感じに大丈夫になるって分かってるんだけど、やっぱりちょっと渦中は不安定な気持ちです。

変化には、自発的に起こす変化と受動的に起こる変化の2つがあると思ってて。(もちろん前者の回数のほうが圧倒的に多い)

体感としては、前者が、自分の足で計画した目的地に歩いていく、という感じだとすると、後者の変化は、自分では想像できないようなところに勝手に連れていかれる、みたいなかんじ。

不安もあるけど、おもしろさもある。へ〜〜なるほど〜ここかぁ〜 みたいなサプライズ感があるよね。

変化の真っ只中にいるときの特徴として「めちゃめちゃ眠い」というのがある。ほんと、ヤバイくらい眠いんですよ、寝ても寝ても眠い。そういうとき、あー進化してんなー勝手に、と思ってる。

なんか、私が感知できない意識下で、すごく目まぐるしくなにかが働いていて、それにエネルギーを消耗してるせいで、私が眠くなる、んじゃないかと考えてるんだけど、真相はなぞ。

あと、好きなものが急に変わったりする。好きなファッションとかが変化する。今まで気に入ってたはずなのに、なんか全部ちがう気がする…みたくなっちゃう。たいへんである。

 

おんなじところにずっといるの、苦手だから、私にとっては刺激的で楽しいんだけど、これってみんな感じてるのかな??進化してます?

リアルで話して共感を得たことがないんだけど、みんな、気づいてないだけでは?どうなんだろ

 

今度の進化は私をどこまで連れていってくれるのかな。見たことのない景色を私に見せてくれ

 

 

 

孤独のはなし

 

自分だけみんなと違う世界にいていつも独りぼっちだ、とそんなことをよく思っていた。

周りのみんなはレイヤー1にいるのに私だけレイヤー2にいるみたい。重なってまるで同じ場所にいるみたいだけど、横から見てみれば一目瞭然で、ここには私しかいない、そういう感覚。いつも孤独だった、寂しさに押し潰されそうで、どこまでいってもひとりの世界。どこにいても、誰といても、重ならない世界。

その感覚は成長と共に安らいではきたけれど、今でもたまに病んだりすると、まざまざと鮮やかにあれが蘇ってくることがある。あの中で毎日生きていた頃の自分を思い出すと、ほんとうによく頑張ったねと言いたくなる。よく頑張ったね。

 

とはいえ、今は孤独を感じなくなったのか?と言われると、全然そんなことはない。よゆうで感じます今でも。でもなんていうか、そこにネガティブな感覚が湧かなくなったんだよね。

耐えられない!!!ってほどの孤独ではなくなった、むかしは、夜とかは誰かと電話で話してないとムリだったし、誰かの横で寝ないと死にそうだし、そんなことしてても、ぜんぜん埋まらない孤独感…なんだこれ…ってかんじだった。

 

その状態から救ってくれたのは、キネシとかエッセンスとか色々あるけどその話はまた今度する。

 

昔は自分だけが孤独だと思っていたけれど、今ではみんな孤独なんじゃないかって気がしてる。私だけじゃなくて、みんなそれぞれ別々のレイヤーにいるのかもしれない。誰だって自分の世界には自分自身しかいなくて、ただみんなとは重なっているだけ。一緒にいるように錯覚しているけど。ひとりの人間にひとりの世界。

 

死ぬときはひとり、とか孤独からも逃れられないなんて言葉もあるけど、私はそれも違うと思う。孤独はなくすことができるものであり、結局、孤独っていうのは錯覚、一種の幻想みたいなものであり、手放すことができるものだ、というのがわたしのナウの考えです。

これは、結局、世界には私しかいなくて、貴方も私であり、私は貴方である、みたいな、ワンネスとかの話になってきてややこしいんだけど、大切なことを忘れてしまったことによる間違った思い込みなんだと思う。

 

まあ未だに、わたし自身、孤独から完全に解放されたわけじゃないけど、確実に前よりは少なくなってきているし、死ぬまでにはなくせるんじゃないかな〜って楽観的に考えてる。 

サタナマ瞑想、はじめました。

 

最近、このマンネリな状況を打破すべく、新しい瞑想をはじめた。その名もサタナマ瞑想。

これ、めちゃめちゃいい。バチバチに効いてる気がする。普通の瞑想と違って、歌ってるし手も動かしてるしで楽しい。はじめてこれをしたとき、悲しくもないのに終わったあと涙がブワァ〜て出てきてびっくり。なんらかの浄化が起こっとるんか?

最初ほどじゃないけど、今でも毎回、あくびと涙が出てきておもしろいなあと思う。なんか効いてる〜て感じがしていい。

だけどこのサタナマ瞑想をして寝た次の日、寝ても寝てもめちゃめちゃ眠い…となることが多い。なんでだろ〜 これも浄化なんかな。

調べてみたら、瞑想はじめて暫くは、逆に眠くなることがあるらしいです。まあしばらく続けてたら治るらしいので気長にやってこ。

なんか瞑想は朝晩二回、決まった時間にするのがベストって聞いたんだけどま? 決まった時間にできる気がしない…

まあできることからちょっとずつやってきます、

サタナマ瞑想は、潜在意識のいらないゴミをお掃除してくれるらしい。

わくわく〜 綺麗にしてくれ〜〜

自分の闇を見つめる強さ

 

私が、自分という人間を生きていく上でいちばん大切というか必要だと思っているのは、強さだ。

それも単に、ストレスに強いとかケンカに強いとかそういう分かりやすい強さじゃなくて、もっと分かりにくくて、どういうものかと言うと、自分の弱さを受け入れる強さ、自分の闇を見つめる強さ、そういう種類の強さのことをいってる。それが本当の強さなんじゃないかって気がしてる。

本当の優しさを持っている人間が少ないように、本当の強さを持っている人間もとても少ない。自分の嫌なとこなんて、できれば一生みたくないよね、だってつらいし。

私だってそうだ。常に成長していきたいと思っているくせに、気づかないうちに受け入れたくないことから目を逸らして忘れたふりをしてる、無意識でそんなことをしてる自分に、ふとした瞬間に気づいて愕然としたりする、そんなことの繰り返しだ。

だけどそれはしかたないことなんだと思う。

私は弱くて、だけどその弱さを必死に受け入れようとしてる。それだけで自分にはなまるをあげたい気分。じぶんには自分がいちばん優しくしてあげないとね、

 

認めたくないことを認めること、見つめたくないことを見つめること、それはとても怖くて辛くて泣きたくなる作業だけど。その先には明るい未来しかないことも事実で。そんな頑張ったご褒美がほしくて私は前に進み続けてるのかもしれないな。

一進一退しながらも諦めずに進んでいくよ

ネガティブな感情を無視するの気持ち悪い。

 

人間っていうのはネガティブな感情を感じる生き物なんだと思う、もちろんポジティブな感情も感じる。だからネガティブな感情しか感じない人なんていないし、ポジティブな感情しか感じない人もいない。もし私そうですよ!って人がいるなら、その人は病気か何かだと思う。

だけどそんな病気みたいな状態になりたい人が多いなって感じる。ネガティブを極端に嫌ったり、それを感じないよう感じないようとしている人を見ると、私は違和感を感じてしまう。

この前、知り合いと世間話をしたときに「お金がないんですよ〜」と言ったら

「本当にお金がないの?今日のご飯も食べれないの?住む家は?明日の生活は?ほら、大丈夫じゃん!お金あるよ、ね?」的なことを言われたんだけど、ちっがーーーーう!!!っていうね、うぜえなと思いながらソデスネ〜っていってその場は収めたけど、そういう自己啓発本みたいなこという人間いるんだね、ウケる。

それはいいんだけどさ、その発言って、つまりは『自分が感じてる不足感(ネガティブな感情)から目を逸らしちゃいましょう』てことなんだよね。『嫌なことには蓋をして、良いところだけ見ましょう』っていう。

それっておかしくないですか?

確かに、その考え方はわかるよ、そういうのが必要な時もある、コップに半分入った水をみて、これだけしか入ってないと思うか、こんなに入ってるって思うかっていう話ね。

 

でも基本的に、目の前の事象に対して、自分がどう感じるのか、っていうのは自分の意思では変えられないと私は思っていて。だって湧いてくる感情ってコントロールできないじゃん。

「え、全然足りないんだけど…?」と思ったあと「いかんいかん…これで十分だと思わないと…」て考えるのに何の意味があるんだ?

パッと浮かんだ感情こそ、自分の本心なわけで、それを受け入れないかぎり、根本から問題が解決することはない。

自分の中から湧いてきた感情をジャッジせずに、ただそのまま受け入れることが何より必要。

ネガティブな感情を無視してポジティブをむりやり植えつけようとするんじゃなくて、まずきちんとネガティブと向き合い、安定した土壌を作ることに専念した方がいい。

自分の中のネガティブな感情を無視し続けると、消化されずどんどん自分の中に溜まっていって、イヤ〜〜な感じになるからマジでやめたほうがいいよ。

 

自分の否定したい部分や感情と向き合うことは、とても難しくて、奥の奥に押し込めたり、逃げ回っているうちに、感じることもできなくなったりする。

私にもまだまだそういう部分はあって、自分ですら気づいてない感情があるんだと思う。

 

気の遠くなるような作業だけど、ひとつひとつそれを見つけて受け入れ解放していくことが、成長であり、楽になる唯一の道だなと思う〜〜〜、以上。

思考に言葉が追いつけない

 

仲良くなった人に高確率で「君は考えてることに言葉が追いついてない」というような趣向のことを言われる。

「言葉で表現している以上の何かがあるのは、ぼんやりなんとなくは感じるけれど、その半分も理解できてない気がするよ」とも言われる。私自身もそれはめちゃくちゃ感じている。

伝えたいことがぜんぜんうまく言葉にならなくって、それが歯がゆくて仕方ないのです。

 

ひとりで頭の中で考えてるときは、ちゃんと形になっているし理解もしているのに、人にそれを説明しようとすると、思考が、まるで手の平から砂が流れ落ちていくかのように零れ落ちていってしまう。

なぜなんだろう。

考えているそれにぴったりの言葉がない、というのがひとつ。いちばん近い言葉を探して使ってはいるのだけど、やはりぴったりではないのでそこに微妙なズレが生じて、それが少しずつ積み重なって、結局ぜんぜん違うことになっちゃう、みたいなことがある。

頭の中って、不思議だ。

もしかしたら言葉で考えているわけではないのかもしれない、そんな気がする。言葉にした途端、そこに収まらなかった想いみたいなモノは失われてしまう。そういう感覚が私にはあって、だから大事なことは言葉にしたくない、みたいな気持ちがある。

だけど、やっぱり大事なことほど誰かに伝えたくなるもので、その狭間でうーんとなってしまう。

テレパシーが使えたらどんなにいいだろうと何度考えたことか、

 

似たような思考をしている人間には、比較的多くが簡単に伝わりやすいなあと思う。

テレパシーとまでは言えないけれど、それに近い感覚を感じることがある(ごくまれにだけど)。少ない言葉で多くが正確に伝わるというのは、とても気持ちがいい。意思疎通がうまくできていて、これぞコミュニケーション!という感じがする。

私が日頃考えていることは、どうやらみんながあまり考えていないことみたいで、だから伝わりづらいのだと思う。その回路がそもそもないらしい。

伝わりづらい、ということに小さい頃に挫折して「どうせ分かってくれないなら話さなくていいや」と諦めて、自分の話をあまりしなくなってしまったせいもあると思う。

自分の考えていることを言語化する機会が極端に少なかったせいで、その部分の発達があまり進まなかったのかもしれない。

 

あと、いつからこう感じているのかは分からないけれど、自分の身体の周りに白いモヤみたいなものがあってそれに包まれていて、どう頑張ってもその外には出られない、みたいな感覚がある。

言葉はたぶんその膜を超えられないんだろうな、檻でも柵でもなく白いモヤなんだよなー、個体じゃなくて気体というかんじ。なんなんだろうこれ。外部とのコンタクトがこれに阻まれている気がする。

 

まあ、大人になって、とても少なくはあるけれど同じような思考を持つ人間たちと出会うことができたおかげで、私は自信を取り戻せた。感謝感謝。

もっと上手に話したい、と思わせてくれたのも彼らのおかげ。がんばらないとな〜〜