「どう受け取るかは自分次第だし相手次第」欲望に従って好きなように生きようぜ

 

自分が好きなことするとそのせいで少なからず好きな人を傷つけてしまうことになる。そうなりそうなときってけっこうある。ほんとはみんなハッピーになれたら最高なんだけど。

そういうとき、あなたならどうする?

私は思い返してみると自分が我慢してしまうことが多かったように思う、自分が我慢すれば相手が傷つかない嫌な思いをせずに済むなら自分が少し我慢すればいいや ってなってた。

べつにいいヤツなわけではなくて、ただそっちの方が単純に辛かったんだよね 自分が辛い思いをするより相手を傷つけることが。

だけどそれはよくないって、自分が幸せに生きていく為にはあまり良くない選択だなあと思ったときがあって、それからは意識的に自分が好きなことを最優先に考えるように生きるようになった。

 

 

でも最近 あんまその意識から抜けきれてないな〜自分、と思うことがあってさ

いま私にはラブな人がいて、だからまあその人と遊ぶじゃないですか、で遊んだらもっと一緒にいたくなるから泊まるよね。

それはいいんだけど問題は 同棲?(人んちに住んでる)状態なうってこと。

つまり家を空けたら寂しがる人間がいるわけで、まあ他の男といるとわかれば、やっぱあんまりいい気分ではないと思う。

彼にそんな悲しい想いをさせるくらいなら、まあ家に帰ったほうがいいかな〜 と思っちゃう自分がいたのですよ。

でもよくよく考えたらそれって違くないか?と思ってさ 自分の欲望を最優先できてないじゃん、だめじゃんね。だからじっくり内観してみたヨ

 

 

それで気づいたのは、誰かを傷つけるっていうのは、ほんとは誰にも不可能だってこと。

さっきの例でいうと、「私が他の人と遊びに行ったら家の人が悲しむ」っていうのは私の想像でしかなくて、ひとつの可能性でしかない。

傷つかない、っていう選択肢もあるわけよ。

どれを選ぶかっていうのは自分次第なのです。だからその行動に傷ついたとしても傷つくことを選んだのはその人自身。

 

つまり表面上そう見えたとしても正確には“私が傷つけている”というわけではないのだ。

じゃあなんで私は「相手を傷つけてしまうかも」と思ったのかというと、それは自分が相手の立場になったときそれに傷つくから、もっというと“傷つけられた”と感じるから。

自分がそう感じるから相手もそう感じるだろうって自然に思っちゃってた。

でもほんとは違うんだよね、私は傷つけられた のではなく、傷つくことを選んだだけなのだ。なにを選択するかは私次第なのだ。ふむ

自分の中にあった被害者意識にビックリだよ。手放していかないと〜

 

どう受け取るかは自分次第だし相手次第、てことを胸に刻んで心置きなく遊びに行きたいと思います。(自分次第とはいったけど、だからといって相手次第なんだからと意図的に悪意を他人にぶつけるのはダメだゾ)