孤独や寂しさの正体について
夜になるとさみしくなる、それは人類共通なのかな、分からない。
私は寂しがりだとおもう。いつだって側には孤独がいたし、眠るときは誰かにそばにいてほしくなる。
とかいいながら、ひとりが好きだ。一人でいる時間がたくさんないと、ストレスで死んでしまうと思うし買い物も映画もカフェもひとりで行きたいよ。
都合のいいときだけ他人を求める自分に少し笑っちゃうけど、でも人間なんてそんなものでしょう。
だけど、はたして本当にそうなんだろうか。
孤独感や寂しさというのは、どう頑張っても一生逃れることのできないモノなのかな。
生まれたときから、当たり前にあまりにも近くにありすぎて考えてみたこともなかったけれど、改めて考え直してみると、孤独感や寂しさから自由になることはもしかしたら可能なんじゃないかという気がしてきた。
たとえ大勢の人に囲まれていても、愛する人と抱き合っていても、孤独を感じることはある。逆に一人で出かけたり、真夜中にひとりぼっちでも全然それを感じないこともある。
不思議なものだな。
結局のところ「孤独感」というのは周囲の状況で左右されるものではなく、自分自身の内側で起こっているんだ。
勘違いしやすいけれど、「ひとりだから寂しい」とかってのはだから正確には正しくなくて、孤独感を強く感じるときにひとりであることが多い、ということでしかない。
人は 本当はどんなときだって孤独 なのではないだろうか。
心の底の方で「孤独」というのはいつだって、変わることなく川のように流れ続けていて、それを感じていないときでさえ、それは消えてなくなっているのではなく、桜が散って美しく水面を覆い隠してしまうように、ただ見えなくなっているだけなのではないだろうか。そんな気がする。
孤独感や寂しさを感じる量みたいなものに個人差があるのはどうしてだろう。人によって川の形が違うということなのかな。
私が探しているのは川そのものをなくしてしまう方法、みんなは言う「そんなの不可能だ」って。
でもそんなことないと思うんだよな〜 孤独や寂しさって、幻みたいなものなんじゃないかっていう直感というか感覚みたいなものがあるんですよ。
その謎を解明したい。まだ無理そうだけど、もうちょっと考えてみよ、
孤独の川の水は涙なんだと思う。
寂しくて悲しくて それで溢れ出して止まらない涙が、孤独の川を作っているんだと思う。
悲しみがなくなれば涙はとまる。
涙がなくなれば川もなくなる。